原宿。
原宿駅っていう駅はあるけど住所は神宮前。
なのに神宮前に行こ!とは言わずほとんどの人が原宿に行こ!っていう街。
原宿デビューしたのは小学生の頃で、姉に妹と連れてってもらって。
小学生だからファッションなんか特に気にしてなくてキディランドやカトちゃんの店、竹下通りをただ往復することでワクワクして、楽しくて仕方なかった。
月の小遣いは500円とかだったと思うんだけど姉弟妹で原宿行くって言ったら電車賃と昼飯代を特別にもらえたりして。カトちゃんの店の数百円のキーホルダー買うのに竹下通り往復しながらめちゃくちゃ悩んだり。キーホルダーまだ実家にあるかな。
中学生頃になると友達と遊びに行って露店で高いんだか安いんだかわからないアクセサリー買ってイキってたり。
この頃初めて吉野家の牛丼を食べて世の中にはこんなに旨いものがあるのかってくらい美味しかった記憶。ゲームなんかしないのにその上のゲーセンにいることがカッコいいと思ってたり。
高校生になった先輩たちはバイトを始めたりしてやたらファッションのことに詳しくなって、原付に乗り始めたり早い人は中免取りに行ってたり。本当いろんなことを教えてもらった。
そのほとんどが集約された場所がプロペラ通りとこれも住所にはないけど裏原宿。
もちろん中学生だから財布の中にはほとんど金は入ってないし、今思えば当時は最高にオシャレしてたつもりなんだけど原宿のテントの店や露店で買ったパチモン着てたり、古着なんか何も詳しくないのに古着屋で買ったってだけでオシャレな気がしたTシャツ着てたり。
教えてもらったブランド店に入るのも完全に分不相応で、当時のアパレル店員さんはお世辞にも愛想がいいとは言えなかったから恐いのなんの。でも強がって小さなステッカーだけ買ったりして。
その流れでゴローズデビューは早かったんだけど、じいちゃんばぁちゃんの手伝いしたりお年玉やたまに貰える数百円の臨時収入を貯めてやっと二つ折りの財布と安いコンチョが買えたくらい。今思えば露店で買ったよくわからない羽のアクセサリーしてたと思うんだけどガキ過ぎたからか何にも言われなかったなあ。相手にされてなかったんだろうけど。
https://www.djkaatmm.com/gorosゴローズ-初ゴローズ/
アルバイト始めてやっといろんなものが少しずつ買えるようになっていったけど、先にバイトを始めてた姉が家に金を入れてるのを知ってたから、何も言われないんだけど自分だけ入れないてのはやっぱりできなかったしどうせ入れるなら姉より多く渡したいっていう無駄な強がりで結局友達と遊びに行くといつも金欠状態で。そのくせバイトしてないのにいっぱい小遣いもらってる友達を羨んだり妬んだり笑
話は逸れたけど、姉妹にジャニーズショップのプリクラに並ばされたこともあったからこの頃から自分の中では、原宿といえば並ぶ街。
んでプロペラ通り。
前にも同じようなこと書いたけど。
この通りを含めこの一帯は中学生の頃から今に至るまでドキドキとワクワクとの夢の地帯。
ただここ数年はちょっと残念な感じで、中古品屋?二次販売屋?の看板がやたら目立って仕方ない。時代なんだろうけど。
そして散歩。
スタートはここから。
ここはもうウェンディーズの思い出しかない。ゴローズから出てきて1人の時はそのまま帰るけど友達と行ったらここで反省会&グチ。ごめんなさい。
ベーコンバーベキューバーガーだったかな?時代が違うかもだけど好きだったなあ。
今はFR2が入ってるここはRECONだった。なんか別の記憶もあるけど。
向かいの建物もFR2になったみたいで、ロバートの秋山さんのポスター貼ってた。
うん。働きたくない。
そしてここ。前は何だったっけ。
たぶんここ10年くらいの間にできたお店だからそれより前になにかあったはずなんだけど思い出せないや。
つぎはバナナボート。
そしてルイジ。
原宿で働いてた頃何回か行ったんだけど、ケーキがめちゃくちゃ美味かった記憶。
そして20年以上通ってるはずのNEIGHBORHOOD。
通い始めた頃はsupremeもなかったし、たぶんその頃から2〜3回外観変わってる気がする。
コキュウ。
結構夜遅くまでやってた記憶がある。
そしてBUSY WORK跡地。
階段を地下まで並んで宇宙基地みたいな店舗。
かなり並んで入ったのに店内はスカスカでほとんど物がないっていう当時の原宿アパレル店の定番。
https://www.djkaatmm.com/a-bathing-apeア-ベイシング-エイプ-過去ものまとめ/
プロペラ跡地。
この辺にデッカいプロペラ看板があったんだよね。
自分はvansonは通らなかっというかちょっと世代が違うけど、ここでvanson買った人も多いのではないかなと。若い頃って今考えるとたいしてオシャレでもないのに自分の部屋にやたらこだわり持ってて原宿にある店舗の内装を参考にしたりしてたんだよね。結果的には一生懸命片付けたり飾ったりしても全然違うものになってたんだけど。
ここインテリアショップかなんかだった気がするんだけど、近年ずっとこのまんま。
働いてた頃、明治通りが広くなるから明治通り沿いの店は立ち退かなきゃいけないかもって噂があったけど、明治通りは広くなったけどどの店が変わったのかもわからない。たしかに引っ込みはしたけど。
こんな感じで街の形は変わってないのにほぼほぼ何があったか思い出せないとこばかり。
ただ当時はインターネットも普及してないし、もちろんSNSなんかも。
誰か芸能人が着用すれば一気に人気が出たりしてたけど、ほぼ雑誌と口コミが全てだった時代、そんななかほとんど雑誌にも載らないのに大人気だったAPEやGOODENOUGH、UNDERCOVER、NEIGHBORHOOD、HECTIC、SOPH.、BOUNTY HUNTER、etc… そしてgoro’s。
電波を使わない人と人の会話での拡散力。誰が煽らなくても盛り上がる、デザイン力やブランド力って凄いなあ。
高橋吾郎さん、藤原ヒロシさん、NIGOさん、高橋盾さん、滝沢伸介さん、ヒカルさん、江川芳文さん、清永浩文さん、ほかにももっと当時憧れてた人がいて、あらためてこの人たちは凄いなあと。
でもやっぱり自分の憧れは島菜有さんと大塚恭平さん。
裏原世代で取り憑かれてしまった人は、なんだかんだ何年経っても裏原というか、なにかしら今も身につけてる人が多くて。
ただ、まぁ金もないのにいろんな店に通いまくって無駄に見るだけ見て、高い買い物はTシャツレベルだったのに、店員さんに仲良くしてもらったりもして。にも関わらず22〜23歳くらいまではゴローズ以外の店にほとんど金を落としてないんだよね。
そして少しずつ仕事でも給料があがったりして少し余裕ができてきた頃には今度は前ほど原宿に行く時間がなくなるって状態で。
家族ができればまずは生活が優先だし、子供服の買い替えスパンが早すぎるし。男の子と女の子だと全てがお下がり作戦もできないし。
そんなこんなでいつのまにかおっさんに。
ただ何をするわけでもなかったけど、15、16〜23歳くらいまで週の半分以上を仕事であれ遊びであれ原宿か渋谷にいることが本当に楽しかった。
最初にも書いたけど、今は中古店や二次販売店の看板が目立って街の形は変わらないのに姿が変わってしまって。ここ数年はもう駐車したらネイバーフッドかチャレンジャーに直行して寄り道せず帰るっていう残念な状態だけど、それも時代ってことで。
ただやっぱり原宿ていう地に来て、裏原宿を散歩すると店が開いてない深夜でもワクワクするのは間違いないし、たぶんそれは今後も変わらないんじゃないかな。
早く、熱を測ったりマスクをしたりってのがなくなって大混雑の原宿を楽しみたいところ。子供たちも反抗期やらなんやらであんまりこういう自粛的な生活が長引くと一緒にお出かけしてくれなくなりそうでおっさんはヒヤヒヤなんです。
っていう、久々に深夜に散歩したことでテンションあがってなんかよくわからない毎度の自己満文になったけどこの辺りで終了です。
それでは皆様、お身体お大事にしてください。
今日がいい日になりますように!